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みなもとよりとも
源頼朝
吉川 英治
「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页
二
みな云うのである。
要するに、人間は建設を好むからである。建設を終って、腐蝕期に入っている平家の地盤で、不安なあくびをしているよりは、粗食と汗と土まみれな中にいようと、これからだと云い合える天地に生きたいのである。
だが、そう一つに、人心をひっぱっている力は鎌倉そのものではない。やはり人である。しかも一人の人であった。
二
その頃、鎌倉への聞えに対し、厳秘にされていたが、平家方の内部には、致命的な憂いが起っていた。
太政入道の重い病である。
「近ごろ貴顕方の馬、車の往き交いが、何だか、ただ事ではないが?」
とは、京都の庶民たちも、うすうす変には感じていたが、凡事でない騒ぎは、去年から年の暮までもつづいていた――
「また、何かあるんだろう」
鎌倉の民衆とちがって、ここでは庶民と上流の層とが、完全にかけ離れていた。
「驚き忘れた一門」の無反省が反映して、庶民たちも何が起ろうと、驚かない習性に堕していた。
東国には頼朝が。木曾方面からは義仲が。
九州では肥後の菊池。豊後、肥前なども源氏に呼応して大宰府へ攻めかけたという。
――四国の伊予にも、吉野、奈良にも、近江にも畿内にも、騒乱が起った。