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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
と、いった。
すぐその翌日だった。何という身軽さであろう、親鸞は、生信房を案内として、西仏、光実、了智の五人づれで、もう角間の草庵を引き払い、みすずかる信濃を後に――浅間の煙のなびく碓氷の南へ――峠を越えているのだった。
もっとも、佐々木光実と了智の兄弟は、碓氷峠のあたりまで見送って、元の地へ引っ返した。もちろん、親鸞によって開拓された信濃地方の帰依地をなお培い守るためである。
親鸞と生信房と西仏は、間もなく、常陸の下妻にわらじを解いた。
そしてこの地方の――大利根のながれと、赤城おろしと、南は荒い海洋に接している下総境の――坂東平野をしずかにながめ、ここにまだ、文化のおくれている粗野な人情と、仏縁のあさい飢えたる心の民衆を見出して、
(われここに杖を立てん)と、親鸞はひそかな誓いと覚悟とを抱いた。
下妻に、三月寺という、もう荒れ果てた廃寺があった。
彼を請じた第一の檀徒である小島郡司武弘が、さっそく、お住居をといって、住院の結構を心配するのを退けて、親鸞は、「あれに住もう」と、廃寺の三月寺を乞いうけて師弟三人が、雨の漏る茅屋根の下に、生活を初めた。