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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

と、また烈しい力で振り下ろした。

仏の加護といおうか、紙一重の差で、鋭い手斧の刃は、お吉の黒髪をかすめたのみで、横へ反れた。

「ちぇッ」平次郎は、悪鬼の舌打ちをならした。そしてなお逃げ転ぶお吉を追って、

「阿女っ、逃がしゃあしねえぞっ」と、さけんで躍った。

――お吉は走った。どこへどういう目的などは元よりないのである。藪や畑や雑草の中を、ただ怖ろしさに駆けられるだけ駆けたのだった。

「……アア」しかし、女の足には限りがあった。心臓が圧しつぶされるように苦しい。お吉は、大きな息をあえいで、べたと大地に坐ってしまった。

と――その大地を打って、ばたばたと追いかけてくる者の跫音がひびいてくる。お吉はハッとしてまた起った。――起ち上がったが、もう、肺はそれ以上に走ることに耐えなくなっていた。よろよろと蹌めいてしまう。

「待たねえかっ、畜生っ」平次郎の声だった、声までがもう夜叉の叫びのように物凄くしゃがれているのである。

「ど、どうしよう」お吉は髪の根まで熱くなった。息は喘れるし、助けを呼ぶにもこの深夜に誰がいよう。

もう後ろから来る荒い跫音は、すぐ近くまで追いついてきた。