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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
炎の辻
一
炎の辻
一
叡山の騒擾はその後もつづいていた。院政の威光も、平家の権力も、山門の大衆だけには及ばない有様なのである。
天台千年の法城は、帝室や、国家からの破格な待遇に狎れて、仏徒は思い上がっていた。平家一門が、人臣の分を忘れて、
この世をば我が世とぞ思う――といったような思い上がりと同様に、仏徒もまた、仏弟子の分をわすれて、政治を持ち、武力をすら持って、社会を仏徒の社会と思い違えているかのように傲慢で、理窟ッぽくて、特権意識のみが旺だった。
(山門を討て)という声は、その前から北面の侍たちの間に起っていた輿論であった。新大納言や、浄憲法師や、鹿ヶ谷に集まった人々は、その政機を利用して、にわかに、山門討伐の院宣を名として、軍馬の令をくだした。
物の具を着けた武者たちは、夕方までに、数千騎、御所のまわりに集まった。武臣のうちでも、重要な数名の将のほかは、院宣のとおりに思って、叡山を攻めるのだとばかり思っていたらしい。
「今宵こそ、山法師ばらに、一泡ふかせてくれねば――」と、弓弦を試し、太刀の革を巻いて、夜を待っていた。
だが、院の中枢部の人々の肚は、敵は叡山にはなくて、六波羅にあった。