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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

「行ってくるがよい」と案外な許しであった。

そればかりでなく、覚運はまたこういった。

「おん身が、ここへ参られてからはや一年の余にもなる。わしの持っている華厳の真髄は、すでに、あらましおん身に講じもし、また、おん身はそれを味得せられたと思う。このうえの学問は一に自己の発明にある。ちょうど、よい機でもある。都へ上られたならば、慈円僧正にもそう申されて、次の修行の道を計られたがよかろう」

そういわれると、範宴はなお去り難い気もちがして、なおもう一年もとどまって研学したいといったが、僧都は、

「いやこれ以上、法隆寺に留学する必要はない」といった。

計らぬ時に、覚運との別れも来たのである。範宴は、あつく礼をのべて引き退がった。性善坊にも告げ、学寮の人々にもそのよしを告げて、翌る日、山門を出た。同寮の学生たちは、

「おさらば」

「元気でやり給え」

「ご精進を祈るぞ」などと、口では祝福して、見送ったが、心のうちでは、

(ここの烈しい苦学に参ってしまって、とうとう、僧都にお暇をねがい出たのだろう)と、わらっていた。

範宴は、一年余の学窓にわかれて、山門を数歩出ると、

(まだなにか残してきたような気がしてならぬ)と、振りかえった。