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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

ついには社に行くこと屠所の羊のごときものがあった。でもようやく何とか一年半余の連載を果した。それが「親鸞記」として社から出版の運びになったところで関東大震災が来た。かくて私の処女作は世間へ出ずに製本されたまま社屋とともに焼けてしまった。わたくしの出発にとっては意義のあるまた有難い業火であった。

中年になってふたたび親鸞を書いた。台日、福岡、名古屋、北海タイムス等、地方紙五社の連合掲載のために書きおろしたのであり、昭和十三年に刊行された講談社版の「親鸞」がそれである。新聞紙上の連載は三年近くにも及んだかとおもう。

十余年まえにいちど書いた基礎はあるが、わたくしはいろはの習い直しをやる気でそれをつづけた。こんどは作家生活の中でやれたので参考書も自由にえらび見ることができた。そしてこんどはつつがなく出版もされた。――だが自分の胸には依然T新聞社時代の痛い批判が消されることなくそのまま自省のうちに残っていた。以後、わたくしの通ってきた人生も決して平坦ではなかったが、かえりみて自分がどれほど人間として成人したかをこの作品でみるとわれながら恥かしいと思わぬわけにゆかなかった。