轻松读懂日语经典作品
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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
「当代では」
「畏れ多いおうわさでございますが、高倉天皇の第四の王子、上皇とおなり遊ばしてからは後鳥羽院と申し上げているあの御方ほどな達人は先ずあるまいと下々の評でございまする」禅閤兼実はうなずいて、
「いかにも」と相槌をうった。
峰阿弥は問わず語りに、
「私などが存じあげた沙汰ではございませんが、世評によると、後鳥羽院と仰せられる御方は、よほど秀才だと申すことです。新古今和歌集の撰を御裁定あそばしたり、故実の講究にもおくわしく、武道に長じ、騎馬と蹴鞠はことのほか優れておいで遊ばすそうで、わけても下々の驚いているのは、画なども、ふつうの画工などは遠く及ばないものだと申すことでございます。――その後鳥羽院はまた、御気性のすぐれておいで遊ばすだけに、今は亡き源義経公とは、たいそうお心が合って、勤王の志のあつかった義経公を、いまだに時折、ご側近の方々へ嘆きをお洩らしなさるそうでございます。そして、頼朝公の亡き後の北条一族の専横を御覧ぜられ、武家幕府の奢りを憎み給い、やがては鎌倉の末路も久しからずしてこうぞよという諷刺をふくめて、前司行長に命じて著作らせましたのが、このごろ、しきりと歌われる平家の曲でございます。