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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

五

五

今の法悦につつまれている身のしあわせを思うにつけて、綽空は、自分をして、今日あらしめてくれたものの恩を思わずにいられなかった。

父母、師の君の、慈育の恩。また、叱咤、鞭打の先賢の恩。

かぞえれば、叡山の雲にも、路傍の一木一草にも、ひざまずいて、掌をあわせたい恩を感じる――

わけても、彼の心に、今もふかく刻みこまれているのは、十九歳のころのまだ惨心傷ましい時代にうけた聖徳太子の霊告だった、年ふるたびに御宏恩の偉大さを思わずにいられない彼であった。この国土にあっての仏教であり、この国の人民たる一沙弥として、苦難もあり、試練もあり、今日の法悦もある身であった。これから先もまた、どう、生涯するにしても、その浄土仏国の建立のほかに、自分の使命があろうとは思えない。

太子は、それを、まだ真の闇だった若い惨心一穂の灯となって、暗示して下すった第一のお方だった。後の苦難にたえた力は、その時の灯りの力である。

難波江へ――岡崎を出た綽空が、まっすぐに、摂津の四天王寺へ向っていたのは、その宏恩に対して、今日の報告をするためであったにちがいない。

しばらく、四天王寺に停まっていた。