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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
四
四
聖覚法印の遊説は、効果があったらしい。
山門は、わりあいに、彼の、
(浄土門とはどんな教えか)という講演に、好感をもったようであった。
先には、七箇条の誓文と、法然の謙譲な文書が来ているし、その後から、法印聖覚が、こうして山を説いてあるいたので、叡山の感情は、非常にやわらいできたように見えた。
すくなくとも、表面だけは。
だが、風は――波は――依然としてやんではいない。
果然。吉水の教壇へ向って、巨弾を放ってきた第二の法敵があらわれた。
高雄栂尾の明慧上人である。この上人は、そこらにざらにあるいわゆる碩学とは断じてちがう。満身精神の人だった。学問の深さも並ぶ者がまずあるまいという人物だ。
(栂尾の上人がこういった)といえば、その一言は、思想界をうごかす力があった。
しかも、明慧は、めったに言論を弄ぶような人でなかった。自重して、深く晩節を持し、権力とか、名聞とか、そんなことに軽々しくうごく人でも決してない。
ところが――その明慧が、奮然、起ち上って、吉水へ挑戦したのである。その峻猛の意気を世に示したものが、
「摧邪輪」三巻
「摧邪輪荘厳記」一巻
こう二つの著であった。