轻松读懂日语经典作品
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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
「泣かでもよい、さてさておことはまたとない不思議な仏陀の示顕にお会いなされたの」
「えっ、示顕とは」
「おことが、罪の戸に手をかけたとたんに、その眸を射た光こそ、弥陀本体の御光でのうてなんとするぞ」
「……?」
「わからぬか、おことはそれをもって窓にさしていた夜明けの光というたが、おことはそのせつなに念仏をさけんだというではないか。窓の明りではない、それこそ弥陀本体の御光じゃ、尊い弥陀の示顕に試されたのじゃ、その折に出た念仏こそ、真の念仏、生涯忘れまいぞ」
「わかりました、お師さま!」と、石念は合掌して、
「私は、なんたる、果報者でしょう、この眼で御仏を見ました」と、狂喜した。親鸞は、ことばをかさね、
「そなたはまた、この草庵を出て、修行し直すというたが、それにも及ばぬ、他力易行の行者は、ありのままこそ尊い、配所の囚人であれば囚人のままで、在家にあれば在家のままで、ただいつも、本体の弥陀のすがたを、しかと見て、見失わずに――」
慈父のような教えだった。石念の心の傷は洗われた、いや大きな欣びにさえなった。
それからまもなく、石念と鈴野とは、師の媒介で添うことになった。