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たんげさぜん
丹下左膳
林 不忘
03 日光の巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 196,229 字 · 389 页
人間の港
一
人間の港
一
「殿――」
伊吹大作の声だ。
桜田門外の、南町奉行大岡越前守の役宅は、奥の書院に、まだポーッと灯がにじんで……。
越前守様は、まだ起きていらっしゃるらしい。
黒塗り絵散らしの文机に向かわれて、燭台を引きよせ、何やら読書をしていらっしゃる。
書物をめくる、ひそやかな音。
毎夜のようなお調べものなんです。
「大作か。なんです」
下ぶくれの、柔和な越前守の笑顔が、次の間のふすまのほうへ、
「其方、まだ起きておったのか。かまわず先にやすめと申したに。ははははは、わしのつきあいはできぬであろう」
忠相は笑うと、キチンとそろえた小肥りの膝が、こまかくゆれる。それにつれて、かたわらの燭台も微動する。灯がチラついて、小さな影が散る――。
ふすまの引き手の房が、ゆらりとゆれた。細目にあいた隙から、次の間の伊吹大作の顔が現われて、
「お精が出ますことで……申しあげます。ただいま、木戸にひっかかりましたとやらで、七、八つばかりの女の子が、重内、作三郎らに引ったてられてまいりましたが――」
忠相の眼は、いつも義眼のように無表情なのだ。何事があっても、けっして感情をあらわさない眼……そうであろう、この人間の港、大江戸の水先案内ともいうべき奉行職を勤めることは、かれ忠相、人間として修行することであった。