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みなもとよりとも
源頼朝
吉川 英治
「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页
「木曾に味方しようとは」
と、怨みがましく、彼方の嶺を見つめるのだった。
平家の敗色が明瞭になると、丹波辺りでも、吉野でも、いちど平定した畿内の反平家分子も、また一斉に、騒ぎ出した。
いや、それらの事々よりも、平家一門の驚愕と、大きな失意は、院のお行方が、ゆうべ二十四日の夜半ごろから、まったく知れない一事であった。
宗盛以下、評議の末、
「このうえは、京都を捨てて大宰府へ立ちのき、あの地にある一族の家貞や貞能等をも併せて後事を図ろう。――瀬戸内海一円には、故入道殿の扶植されたご恩徳も浅からず、平家に加担の豪族も多いから、われらの第二の地盤として、勢いをもり返すことも至難ではあるまい」
と、いうのに意見の一致を見て二十五日はもう洛中から総退去と決していたのであるが、今朝になって、
「法皇には、昨夜おそく、ひそかに院を忍び出られ、鞍馬より横川を経て、義仲の陣営にあてられている延暦寺へ御幸あそばされてしもうたらしい」
との事実が分った。
これも寝耳に水であった。
元より宗盛たちは、自分たち一門の退却と共に、後白河法皇のお供をしてゆく予定でいたことは云うまでもない。