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みなもとよりとも
源頼朝
吉川 英治
「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页
「どうしてここを降るか」
重忠も、また日頃我武者をもって任じる三浦義連も――凝然と下を見ているだけだった。
義経の馬の口輪をしかと握っていた佐藤継信と忠信の兄弟も、
「これは」
と、五、六歩駒をうしろへひいて、
「如何召さるお心?」
と、主の面を仰いだ。
義経は、しきりと唇をかんでいた。彼もかくまで嶮しい所と考えていなかったかもしれない。
元より彼は、一ノ谷のうしろの嶮峻は覚悟していた。そこへ向う非常識も弁えていた。けれど彼は、敢えて、常識を無視して、非常識へ突進してきた。
平常の常識の程度は、敵にもある常識である。
人の眼と智がみな、
不可能!
と、極めているなかに可能を見出すことこそ、非常な時の常識というものではあるまいか。
「…………」
義経はしきりとまだ唇をかんでいる。ともすれば、平常の常識から不可能としてしまい易い自己の観念に対して、強く唇を噛むのであった。
「鷲尾。鷲尾」
案内して来た例の若者をかえりみて訊ねた。
「この山を鹿は通わぬか」
「鹿? ……。ああ鹿ですか。冬近くなると丹波の鹿が、よく一ノ谷へ越えます。春暖かになるとまた、一ノ谷から丹波へ帰って行くので」