轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

伊豆の頼朝には、いわゆる、坂東武者とよばれる郷族が、草を薙いで、呼応してくるし、熊野の僧兵が呼応するし、これだけでも平家の狼狽はかなりみぐるしいものであったところへ、

「朝日将軍木曾義仲――」と、みずから名乗って出た思いがけない破竹の強兵が、これも、夢想もしていなかった北国の空から、琵琶湖の湖北に迫って、兵鼓をうちたたき、声をうしおと揚げて、京洛に近づきつつあるという情報の頻々たるものがある。

「木曾山の小冠者ばらをして、都へ、近づけしむるな」と、中央の政庁は、街道の諸大名へ向って、飛令をとばしたけれど、人の心はいつのまにか、この二、三年のあいだに、掌のひらかえしたように変ってしまっているのであった。

誰あって、木曾軍に対して、

「われこそ」と、阻める一国すらないのであった。

あわてて都から、討伐に向った城資永は斃れ、新たに、精鋭を組織して、薩摩守忠度は今、北国路へ発向している。

だが、これもどうか?

一方にまた、東海道方面へは、平知盛と清経の二将が、ものものしく押し下ったが、頼朝の軍に出遭うと、一たまりもなく、墨俣川にやぶられて、散走乱離に、味方の統制すらつかない状態であるという沙汰も、政庁では秘密にしていたが、いつのまにか、うわさになって、