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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
」とか「親鸞は父母の孝養のためとて、念仏一返にてももうしたることいまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。」とか、また「親鸞は弟子ひとりももたずそうろう。」などという語は、わたくし達には、七世紀も前の古人の言というような気はしない。むしろ最も官能の正しくひろく澄みきった近代人の声として常に新しい反省と若い思索をよび起されるのである。
そして親鸞の生涯したそのころの時代苦をおもい、今もかわらない人間の相をかえりみると、自ら下根の凡夫といい愚禿と称した彼の安心の住みかは、求めればいまでもたれの目の前にもあるのだという事実を観ずにいられないのだった。けれどわたくしの場合はそれも信仰のかたちでなく憧憬の中にいつも育っていた。親鸞といえばすぐ青年時代の文芸梵鐘が同時にひびいてくるせいかもしれない。事実また親鸞ほど詩人的な肌あいをもった宗教人も世界に稀れであろう。
わたくしの作家生活と親鸞とは忘れ得ないものがある。いまおもえば恥かしい限りだが、私が初めて小説というものを書いた最初の一作が親鸞だったのである。当時わたくしはT新聞社の駈け出しの学芸部記者だった。