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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

そこから性善坊がいうと、

「なにをっ」柿色の篠懸を躍らして、

「野郎、うごくな」と弁海は、眼をいからせて、躍りかかってきた。

「あっ――」よろめくように、性善坊は逃げだした。

「待てっ」うしろから迫る怒号を耳にしながら、彼は、坂の上まで、息もつかずに出た。そこまで登るともう広やかなる耕地の彼方に、奈良の丘や、東大寺の塔の先や、紅葉した旧都の秋が、遥かに望まれてきたのであったが、ふと思うことには、万一このまま奈良の町へ入って、範宴が、そこに自分を待ってでもいたらはなはだまずいものになろうという懸念であった。

いったい、弁海と師の房とは、どういう宿縁なのか。師の房は、彼を憎んだことも、墜し入れたこともないのに、幼少から今日まで弁海が範宴を憎悪することはまるで仇敵のようである。

日野の学舎で、自分より小さい者に、学問や素行においても、絶えずおくれていたことが、幼少の魂に沁みて、口惜しくて、忘れられないのか。

糺の原で、他人を、野火に墜し入れようとした悪戯が、かえって、自分を焼く火となって手痛い目に会ったので、その遺恨が、今もって、消えないのか。

いや、なかなかそんなことではあるまい。