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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

しかし、胸がいっぱいだ、綽空は何も今朝はいえないのである。玉日はまして、俯向きがちだし……。

膳を、水屋へ運んで行った万野も、ひとりで、何か満足している。松の樹洩れ陽が、台所の棚にまでさしこんで、そこも、今朝から塵もない。

「お迎えに参りました」と、門口で西洞院から来た小侍と雑人が声をかけた。

「おお」われに返って、綽空は、妻へいった。

「今日から、日々、吉水へ参るのだ、そなたも、一緒に」

「はい」

「かねて、わしが、そなたに向って申し聞かしたことども、よく、胸にこたえておるか」

「わかっております」

「ここから吉水までは、道は近うもあれ、百難の障碍が必ずあるぞよ、不退の二字、胸に、わすれるな。いかなることがあろうとも、揺るぐな、躁ぐな、怯えまいぞ、綽空が、一緒だと思え、良人の力、御仏の御加護があると思え」雑人たちは、輦のそばで、牛飼をさがしていた。牛飼は、稚子と共に、牛を泉のほとりへ曳いて行って、のどかに、草を飼っているのであった。

三

「ご用意ができました」と、庵のうちへ雑人の一人がいう。

「おう」と、綽空は立つ。玉日も、庵を出る。

その日二人の装粧いは、晴の席へ臨むような盛装であった。