轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
こうして、廟議の方針が、にわかに一決しないのを見ると叡山は、
(念仏方の公卿たちの策謀を、まず先に打ち懲せ)と、いつもの手段に出て、近いうちに、日吉、山王の神輿をかついで一山三千が示威運動に出るらしいという警報が都へ入ってきた。
山門の強訴といえば、いつも血を見るか、または、なにか社会的な大事件の口火になるのが例であった。
「すわ」と、堂上にも、そのうわさに、脅かされる色があった。
しかし、念仏支持の公卿は、
「叡山の態度こそ、怪しからぬものである。吉水の法然と、それとを比較すれば、いずれが、仏者として正しいか、瞭かではないか」と、かえって硬化して、廟議は、いっそう激越になり、二派の対抗は、政治から感情へまで尖り合ってきた。
こういう険悪な成行きをながめて――
「困ったものだ」誰よりも、ひそかに、胸を傷めていたのは、前の関白月輪禅閤であった。
彼は今はもう、まったく、政界からも、廟堂の権勢からも、身を退いて、ただ法然門下の一帰依者として、しずかに余生を送っている人であったが、現在、自分の息女の一人は、善信の妻として嫁いでいるし、弟の慈円僧正は、叡山の座主であったが、その座主にもいたたまれないで下山しているのだ。