轻松读懂日语经典作品
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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
(おや?)と、不審るほど、いつの間にか、夜になっても、真っ暗な洛東の空に、ポチと灯りが見えるようになっていた。
(――誰だろう?)と、当然、うわさにのぼった。
閑人が、詮索してみると、近ごろ、二人の若僧がそこに住んでいるのだと知れた。
荒れ果てた法勝寺の床をつくろい、屋根の茅を葺いて、そのわきに、べつに粗末な一庵を建てて、やがて、朝夕の勤行の鐘も聞えだした。
(若いのに、奇特な)と、供物を贈る者や、花や御灯を捧げてゆく者もふえ、日と共に、法勝寺の宝前は二十余年の元のすがたに返って、
(鹿ヶ谷の住蓮様)
(お若い安楽房様)といえば、もう誰も知らない者はないようになっていた。
その奇特な――若い僧という者の素姓を洗ってみると、二人とも、以前は北面の侍で、一人は前身を清原次郎左衛門といい、もう一人は、安部次郎盛久と名乗っていた者であるという。
そして、何かの機縁で、この二人は、法然上人の新教義にふかく帰依して、その門に入ると共に、太刀をすてて、一沙門になり、同時に、
「この教えのためには」と、身をも打ち捨てるほどな熱心さをもって、その布教に当ってきたのであった。