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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
三
念仏は人に聞かすものではない。法然はただ一人で喜びそして満足に思うている。――湛空を初め一同も、他人に聞かそう念仏などと心得ては大きな誤りでありまするぞ」
朝の陽が、上人の背の近くまで映していた、人々はいつまでも、峻厳に打たれていた。
湛空は、涙をながし、
「不心得を仕りました」手をつかえたまま泣いているのである。
そこへ、弟子の一人が、
「心蓮どのが戻って参りました」と、法然へ告げにきた。
三
「心蓮が?」――これは法然にも他の弟子たちにも意外らしいことであった。
なぜならば、もう三年も前になる。
その心蓮は、この吉水禅房で、ひたすら修行していたが、ある時、師の法然に向って、突然、お暇を下さいといい出して、この門から自分で出て行った男である。理由というのは、
(こうして、繁華な都の中に、大勢して念仏門の道場をかまえ、夜も朝も、雑多な、信徒や、様々な心をもった同門の人々と起き臥しを共にしていたのでは、どうも、ほんとに心を澄まして、一念の称名に入ることができません。こういう修行のしかたは私の考えでは、誤っていると思います。――で、自分だけは、まったく、世俗の塵を絶った遠い田舎へ参って、人間の騒音から離れ、清浄孤寂な生活をまもって、一心三昧に入って、道を得たいとぞんじます、どうか、私を破門して下さいまし)そういって、