轻松读懂日语经典作品
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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
四
輿を追って、無数の人が、手を振って見せる。善信は、その群れに、目礼していた、その一つ一つの顔に、さまざまなる過去の記憶を呼び起されつつ、
(おわかれだ)と、つよく思った。
月輪の老公から特に付けられた伊賀寺貞固と、朝倉主膳の二人は、騎馬で、前駆の万一に備えて、前駆のうちにまじっていた。――万一というのは、叡山の荒法師や、無頼な僧のうちに、不穏な行動に出ようとする者があるという風聞が、この朝、伝わっていたからである。
(流罪は軽い。善信を途中で引きずり下ろせ。そして、ぞんぶんに私刑を与えてから、都から追ん出してやるがよろしい)そういう煽動をしている者があるという専らな風説なのだ。――しかし、官の警士や、領送使の侍や、そのほか、善信の徳をしたう人々が、輿の見えないほど取り囲んで、その上にも、進んでゆくほど、五十人、七十人と途々人数が増してゆくので、たとえそういう計画があったにせよ、手の出せる余地はまったくなかった。
岡崎から粟田口へ――そして街道を一すじに登って蹴上の坂にかかるころは、もう、道路のかきも、樹々の間も、人間で埋まっていた。
民衆は黙然と、眼で輿を見まもっていた。