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しんぺんちゅうしんぐら
新編忠臣蔵
吉川 英治
「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页
百忍一断
挾み箱に、それは、潜められて行った。
果して、殿中にのぼると、すべて大紋烏帽子でない大名はない。御用部屋へ這入って、内匠頭は、すぐ式服を着替えた。もし、大紋の用意をして来なかったら――と思うと、冷たい汗が滲み出る。
そこを起つと、上野介の顔が、ちらと、彼方に見えた。顔を見ると、骨髄に抑えているものが、むらっと、うごいて来る。
『あいや、吉良どの』
『ほう、遅い御出仕』
『お指図によれば、今日は長裃との仰せでござったが、諸侯、一名の洩れもなく、烏帽子大紋でござる故、それがしも、かように着替えました。悪しからず思召しくだされい』
『さようか。いや御念入は結構。此方も、歳のせいか、近来はとかく耳が遠い。それにな、物忘れや勘違いが多うて、閉口でござるよ』
これが人間の咽喉から出る声か。内匠頭は、冷蔑の眼を凝っと与えた。だが、感じないのである、上野介は、片眼をつぶりながら、顔の半分を口と共に歪める癖がある。上顎の入歯を気にするのだ。もぐもぐと、口の中で舌を動かしながら、大玄関の方へ、平然と歩いて行く。
百忍一断
勅使出迎えの刻限が迫った。
三卿とも、もうやがて登城に近い。