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しんぺんちゅうしんぐら
新編忠臣蔵
吉川 英治
「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页
四方庵暦
何気なく見せようとする程、安兵衛は自分の言葉に不自然を覚えて、茶の味すら分らなかった。胸の中で、大きな欣びがもんどり打って、何事かを急くのだった。
何うしても落着いていられないのだ。彼は、何の纒まった話題も出ないうちに春満の家を辞した。そこを出ると、
『駕籠っ――』
辻へ手を振った。
四方庵暦
南八町堀の裏町に、つい二、三日前、本所から引っ越している一組がある。尾張浪人と称している片岡源五右衛門、貝賀弥左衛門、大高源吾の三世帯。
安兵衛のすがたを唐突に門口で見て、
『おう』
と、何処かへ今出ようとして、穿き物へ足をのせかけていた大高源吾が眼をみはった。
大高源吾は、肉のかたく緊まった体を、ずんぐりと重そうにいつも扱っていた。浅黒いうす痘痕があって、すこし猪首のせいか、首を曲げる癖がある。
一見、醜男で鈍重らしく見えるが、対坐して、この人のぽつりぽつり物を云うのを聞きながら眸を見、起居振舞を見ていると、何ともいえぬ静かな心持になるとは、誰も等しく云う事だった。子葉と号して俳諧の才があるし、茶道のたしなみも誰より深かった。文章を書いても、物のあわれというような弁えのある武士であり、どこに、剛気とか、武術とかいうものを潜めているのかと疑われる位なのである。