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しんぺんちゅうしんぐら

新編忠臣蔵

吉川 英治

「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页

青空文庫

面影の水

『いや、お互いに、御苦労御苦労。疲れる事じゃ』

腰骨を叩きながら、次々と、検分して歩いた。

面影の水

妻にも、やさしくありたい。家来たちにも、この顔色は見せたくない。内匠頭は胸いっぱいに周囲の者の気持を察しているのであった。

(身を、生れながら微賤と思え。大名という育ち癖があればこそ、武士のしつけがあればこそ、腹も立つ、血も憤る。御奉公のおん為に、七日は、眼をつぶって――)

と、わずかな間を、臥床に入るのである。

けれど、眠れない。眠ろうとすればする程、吉良の顔が見える。上野介の錆声が、耳鳴りに聞える。

山鹿素行先生は、何と教えた。父長直は常に何と云った。慈母の訓え、幼少から読んだあらゆる教典の文字。それらを、思い出すことが努力だった。――しかも、それを呼ぶ努力こそが、あらゆる障碍だとは覚れなかった。

およそ今の社会には、まったく似ても似つかない新旧ふたいろの思考と生活様式とが、一つ世間に住み、一つ社会を構成していた。浅野家と吉良家のごときも、まったく対蹠的な主人と家風だったのである。

忍。忍。忍。――と、内匠頭は護符のように、念じた。

古語に曰う『百忍自無憂――』