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しんぺんちゅうしんぐら

新編忠臣蔵

吉川 英治

「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页

青空文庫

衣桁の蔭

ふと……

その衣桁が、ひとりで揺れて仆れかかった。

十郎左は、びくっと振り向いて、

『……?』

槍の白い穂先を、衣桁の蔭へぴたと向け、凝と、息をひそめていた。

隠れている人間がある!

しかも女だった。

ここにも、幾人かの警固はいたであろうに、それ等のすべての者が逃げ失せてしまった後まで、何うして、こんな所に、一人で潜んでいたのか?

――だが十郎左には、その謎が解けているらしいのであった。なぜならば、衣桁の蔭におののいている女の眸と十郎左の眸とは、その間の槍もないように、凝とむすびついているからである。女の眼には涙がいっぱいだった。十郎左の眼にも、ふと、血とも涙ともつかない情熱の珠がきらきらしていた。

『……あぶないぞ、出るな』

わずかに十郎左が云った。

『…………』

女は嗚咽を、肩でこらえていたが、そのふるえが、衣桁にも小袖にもふるえてくる。

その時――

また、ここの抜穴に気づいた者があるとみえ、跫音がした。がやがやと声がした。

『オオ……』

十郎左は、いささか、狼狽したらしくみえる。――もう一言と思ったことばを、彼は云いそびれてしまったのだろう。颯っと身をひるがえすと、先刻、主税と岡右衛門の出て行った裏口の雪明りへ、彼のすがたも躍り出ていた。