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しんぺんちゅうしんぐら

新編忠臣蔵

吉川 英治

「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页

青空文庫

『妙。……妙……』

呼ぶと、十六、七の侍女が、夫人の前に、指をつかえた。

『お召でございますか』

『後へ、廻って賜も』

『はい』

お妙が、うしろへ坐ると、夫人は、膝においていた懐剣を彼女へ持たせて、

『この黒髪を、切ってください』

『えっ……。それは、夫人さま、お実家へお帰りあそばしてからでも』

『何日かは、切る髪。せめては、殿さまの御生害の今宵に切りましょう。……なぜ、手を退くのですか』

『はい』

お妙は、夫人の背へ涙をはふり落しながら、黒髪を切ると共に、ばさっと、それを握ったまま畳のうえに泣き伏した。

『あっ……』

そこへ来た奥田孫太夫は、眼を瞠った。けれど、何もいわずに、迎えに来たことだけを告げた。

実家は、南部坂の浅野土佐守である。今宵からは、片鴛鴦の独り住む一室を、其処と定められたのだった。

(さらばです……)

川波の音よ、庭の木々よ。

彼女は、半生の住居へ、心のうちで、別れを云って、実家から来た迎えの駕籠のうちへ隠れた。

さびしい提灯の光の下に、その人々も今宵かぎり、行く先を定めずに離散する老臣から若い小者の端までが、地に手をつかえて、見送っていた。

先には主人との死別。