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みなもとよりとも

源頼朝

吉川 英治

「朝日新聞」1940(昭和15)年1月~10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 306,118 字 · 613 页

青空文庫

二

経のことばのうちには、世尊とか釈迦牟尼仏とかいう語が無数に唱えられるので、この世には平家一門ばかりでなく世尊という人もいるような気がした。その人は、公明正大、大愛無辺の心の持主で、善心さえ持てば、自分にも味方してくれる人と信じた。

「もう山も越えられよう」

尼に云われて、頼朝は天井裏を出た。

雪の下から樹々の芽は萌えだしていた。眼が眩むほど春先の天地は頼朝の心に美しく映じた。十三歳、初めて母の胎内から出たように、彼は鳥の声も行く雲も、珍しそうな眼で見ながらまた、東へ東へと山路を歩いた。

二

細谷川の道を、里へ出て行く鵜匠があった。

鵜匠の男は、さっきから頼朝の後を怪しみながら尾けていたが、とうとう言葉をかけた。

「和子。どこへ行くのか」

「青墓へ」

頼朝は、そう答えるしか、知らなかった。

「青墓に知辺でもあるのかね」

「うむ」

「何というお方か」

「行けば分るけど」

「そうか」

鵜匠は口をつぐんだ。それきり何も問わなかった。しかし、絶えず頼朝の容子に眼をそそいでいるふうだった。

人に油断しない事。人の表よりも肚を観ること。そして身を警戒することを、頼朝は、何里か黙って歩いている間に、自然習んだ。