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しんらん
親鸞
吉川 英治
「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页
三上於菟吉氏去り尾崎士郎氏退社し、そのあとへ入ったばかりで編輯の仕事すらろくにのみこめていなかった。その私へどうしたことか連載小説として親鸞伝を書けという社命なのである。いいつけた社も社であるがひきうけた私も私だ。知らないということほど気のつよいものはない。私は毎朝、他の同僚たちより二時間も早く出勤し、社用のザラ紙へ鉛筆書きで毎日の掲載分をその日その日書いた。下版の時間が迫ると、工場の植字さんがやって来て私の肩越しに原稿をのぞきこみ「そこんとこは会話にしておきなさいよ」とか、ひどく時間がつまると「もう今日はこれでいい」と、まだ書いてるものを後ろから持って行ってしまったりした。
連載中もよく本願寺関係のひとや篤学家などに社へやって来られて、堂々たる親鸞論を以て駁されるには閉口した。事信仰に関わるので読者の投書も痛烈だった。社内でも時代考証や文学論にやかましいのがいてゲラ刷りの出るたび手きびしくやッつけられた。何分、社では参考書も見ていられないので、途中からは帰宅後、家で夜半に書いて行ったが、それでも思わぬ誤謬や不備を指摘されてきゅうきゅういわせられたことが幾度あったことかしれない。