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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

二

彼らの眼には、位階が僧の最大な目標であった。さもなければ勢力を持つかである。そして常に、武家や権門と対峙することを忘れない。

たれが奏聞したのか、範宴は、それにもこれにも、無関心のように見える。どんな毀誉褒貶もかれの顔いろには無価値なものにみえた。ただ、さしもの衆口も近ごろは範宴の修行を認めないではいられなくなったことである。一つの事がおこると、それについて一時はなんのかの蝉のように騒ぎたてても、結局は黙ってしまう。心の底では十分にもう範宴の存在が偉なるものに見えてきて、威怖をすら感ずるのであるが、小人の常として、それを真っ直にいうことができないで、彼らは彼ら自身の嫉視と焦躁でなやんでいるといったかたちなのである。

翌年秋、範宴は、山の西塔に一切経蔵を建立した。

(他を見ずに、諸子も、学ばずや)と無言に大衆へ示すように。

無言といえば、彼はまた、黙々として余暇に刀をとって彫った弥陀像と、普賢像の二体とを、彫りあげると、それを、無動寺に住んでいた自身のかたみとして残して、間もなく、東山の聖光院へと身を移した。

東山へ移ってからも、彼の不断の行願は決してやまない。