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しんらん

親鸞

吉川 英治

「名古屋新聞」1934(昭和9)年9月28日~1935(昭和10)年8月9日、1936(昭和11)年1月19日~8月<br>「台湾日日新報 夕刊」1934(昭和9)年9月30日~1935(昭和10)年8月12日、1936(昭和11)年1月7日~8月4日<br>「京城日報」1934(昭和9)年9月~1935(昭和10)年8月、1936(昭和11)年1月10日~8月<br>「神戸新聞」1936(昭和11)年1月5日~8月6日<br>「福日新聞」「北海タイムス」1935(昭和10)年9月~1936(昭和11)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 566,138 字 · 1127 页

青空文庫

五

六角堂のすぐ裏にあたる修学院の池である。

そこに、この真夜中、水音がしていた。裸体になって水垢離をとっている者がある。白い肌がやがて寒烈な泉に身を浄めて上がってきた。

範宴だった。寒いといっても、このごろはもう樹の梢にも霜がないが、彼がこの六角堂の参籠を思い立った一月上旬のころには、この池には夜ごとに薄氷が張っていたものであった。その氷を破って全身を八寒のうちに没して、あらゆる妄念を洗って後、御堂の床に着くのだった。

――それが今宵で九十九夜も続いた。よくこの肉体がつづいたと彼は今も思う。

しかし、行は、行のための行ではない。出離生死の妄迷を出て彼岸の光明にふれたい大願に他ならない。九十九夜の精進が果たして仏の御心にかなったろうか。

凍える身を拭いて、範宴は白い浄衣を肌に着、少僧都の法衣を上に纒った。そして、六角堂の扉を排しながらはっと思った。

「百夜はおろか、二百夜、千夜、出離の御功力をたまわるまでは、振り向いてはならぬ。まだ真向にこの御扉のうちへこそ向え」

自分を叱咤して、精舎の扉を排した。

床に坐る。一点の御灯を霊壇の奥に仰ぐ。――範宴は、ここに趺坐すると、弱い心も、強い心も、すべての我が溶けてくるのを感じる。