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しんぺんちゅうしんぐら
新編忠臣蔵
吉川 英治
「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页
十分大丈夫と見て、彼の為ることを見すまして笑いながら戻って来るのを待っていたのであるが、その丈八が、勢に乗って追い捲くってゆくうちに、不覚にも、畷のそばの畦川へ、飛沫をあげて片足を踏み辷らせていた。
『あっ……』
一学はもう遅いことを知って動かなかった。
糸屋は、斬れば斬れたであろう丈八を見向きもせずに捨てて、驀っしぐらに彼方へ逃げてしまった。丈八が、沼泥だらけになって上った時には、もうその姿は遙かなものになっていた。
忌々しげな唇を結んで、丈八は、諦めたように戻って来た。
『何者だ、あれは?』
すこし可笑しいのを怺えながら一学が訊ねると、
『赤穂の士だ』
と、丈八はそのまま又、井戸の方へ行く。
『ふウむ、赤穂の者か……』
『たしか、馬廻り役の近松勘六だったと思う。あの顔は、慥かに覚えているのだが、よく思い出せない。もう此方の懐中も油断がならん』
『先でも知っていたようだな』
『知っている筈だ。この二月程は、赤穂の町中でも、よくぶつかっているし、家中の邸へも、道具買に入っているから』
『では、貴様は赤穂へ行っていたのか』
『そうだ』
『誰の吩咐で』
『千坂兵部様からの内命で』