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しんぺんちゅうしんぐら

新編忠臣蔵

吉川 英治

「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页

青空文庫

『あるかっ』

『ある』

『オオ……』

『おお、その傷が……その額の古傷がそうか。亡君が殿中で斬りつけ遊ばしたあの時の傷は』

誰かの脣から、亡君という一語が洩れると、一同は、急に胸さきがつまって来て、眼がしらに渦のようなものが沸った。

……しゅくッ。

と、二、三名が嗚咽をすすった。肱を曲げて、顔へ当てる者を見ると、それを見た者も、怺えきっていた感情を突き破って、

『おいっ!』

『おうっ……』

と、側の者にかじりついてしまい、お互いの肩へ顔をのせ合って、遂には、すべての者が、欣し泣きに、わっと号泣してしまった。――老人も泣いた、若い人々も泣いた。内蔵助すら、瞼へ、指先を当てたまま、やや暫く、暁の空の移りゆくのも知らなかった。

上杉家不戦始末

豆腐屋飛脚

毎朝、夜の明けないうちからする勤行の鉦が、回向院裏まで聞えて来る頃、いつもそれを時刻に、雨戸を開ける豆腐屋の夫婦であった。

『儀助、儀助っ、おれだ、木村丈八だ。――まだ起きていないのか、急いでここを開けてくれ』

その朝。

表の戸はまだ閉まっていたが、豆腐屋儀助の夫婦は、もう寝床を離れていた。豆の挽臼のそばへ、儀助は燈火をかかげて、女房は土間の中の井戸水を寒々と汲んでいた。