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しんぺんちゅうしんぐら

新編忠臣蔵

吉川 英治

「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页

青空文庫

他ならぬ千坂兵部である。誰も、手を出すことはしなかった。

『殿、暫時……暫時お待ち下さいませ。兵部がお見せ申す物がございます』

『なんじゃ』

『藩祖謙信公から家に戴いている千坂家の五ヵ条の家憲にござります。その第一条だけを御覧ぜられませ。それには――

一、上杉有而、千坂有、千坂有而、上杉有、唯是、社稷を重んずべき事。

と、こうござります』

『…………』

『誇るではござりませぬが、千坂は、祖先千坂景親以来、お付家老を命じられ、社稷の存亡にもかかわる大事の場合は、上杉家の太守とも同等の権をもって危急を謀るべしと、謙信公からおことばも賜わっている家がらにございまする。――申しては恐れ多いが、殿と兵部とは、主従には相違ございませぬが、年齢の差がござります。いかに御賢明であろうとも、兵部のほうが、世間も観、人間も観、事の実体もよく観、且つは又、大局というものの上から、分別も優れているかと存じます』

『爺、そちは、そのような事を述べ立てて徒らに、時を延ばそうと謀るのであろう』

『お察しの通りでござります。……然し、やがてそれが、よい事になって、兵部が苦諫申しあげた所存も御得心がまいりましょう』