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しんぺんちゅうしんぐら
新編忠臣蔵
吉川 英治
「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页
がなかった。
同僚の一人が、頻りと探し廻っていると、柳の間の柱に凭れて、凝と何か考えこんでいる。
『梶川どの!』
呼びかけると、
『お……』
振り向いた睫毛が、キラと、涙に光っていた。
気のつかない同僚は、彼の肩を打って、
『お目出度う!』
と、云った。
梶川は、白髪交じりの鬢を外向けて、
『――この年で、出世も、要らぬことでござる』
『とに角、こんな大運は、生涯にも、滅多にあるものじゃない、御羨望に堪えぬ。――いずれ御披露には、招ばれて参るぞ』
『…………』
『そうそう、用事を忘れていた。桂昌院様が、お召しです。すぐ参られい』
『風邪気味か、少々、悪寒をおぼえて、お役儀の怠慢、おゆるし下さい。……ただ今、すぐに行きまする』
同僚の者が、先に走り去っても、彼はまだそこの柱から離れようとしなかった。辺りの樹々にも、七刻ごろの日蔭が濃くなりかけていた。ちょうど、大玄関の脇にあたるお坊主部屋の前まで、今、一挺の駕籠が舁ぎ込まれたのを彼は見ていた。間もなく、数名の武士が、網をかけた駕籠を囲んで、粛々と平河口の方へ出て行った。
『ああ、なんの目出度い事があろうぞ。――内匠頭殿の胸の裡を思えば……』