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しんぺんちゅうしんぐら
新編忠臣蔵
吉川 英治
「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页
帰る片鴛鴦
蜻蛉頭のむかしに回って、十郎左は、声をだして泣いていた。
『叱ッ』
と、誰かに、叱られる迄は。
源五右衛門が、又、
『見ぐるしい』
と云った。そして、浅野家の提灯を先に、柩に従いて、歩きだした。
路地路地の暗がりから、密かに、見送るものは誰だろう。それも、公儀を憚って、明らさまに、顔も姿も見せることはできない。
泉岳寺では、わずかに家臣の通夜で、しめやかに誦経の弔いが済まされたに過ぎなかった。
帰る片鴛鴦
『殿様には、唯今、お見事にすみました』
田村邸の様子を見届けて来た家来の者から、そう聞くと、夫人は、
『安心しました』
と、微かな声で答えた。
今宵のうちに明け渡す鉄砲洲の屋敷は、塵一つないように、夜までに、清掃されていた。
今朝良人の見ていた軒の桜花がこぼれてくる。ゆうべ、良人と聞いたであろう屋敷の裏の川波の音が、今宵もひたひたと石垣を打っている。
いつまでも、彼女は、そこに坐っていたい気がしてならなかった。
表方では今し方、第二の急使として原惣右衛門、大石瀬左衛門の二名を、赤穂へ立たせて、自分の立ち退く支度をしているが、すでに、自身の離散を急いだ者もあるらしく、常よりは人数もぐっと減って、開け通した屋敷の中には、川風が、往来のように吹きぬけてゆく。