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しんぺんちゅうしんぐら

新編忠臣蔵

吉川 英治

「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页

青空文庫

だが、決して、この国も初めから今のように豊かなものじゃなかった。それを、今日あらしめたのは、まったく長直公の努力と、常陸から移住して来たわれわれ祖先の艱苦の賜物なのじゃ。……わしは、この井水をのむたびに、郷土の恩というものを、舌にも心にも沁み入って味うのだ』

『和尚、また御説法ですか。さ、汲みましたから、たくさん、味ったらよいでしょう』

『おまえも飲め』

『私は、結構です』

『そう云うな。今も云った通り、関東の常陸あたりから比べると、この赤穂などは、瀬戸内の風光と、天産と、よい気候と、あまりに自然の恩恵にめぐまれ過ぎている。だから、おまえの家の家族なども、贅沢で惰弱で我儘で、先人の艱苦などは、夢にも知らん。時々、連れて来て、家族共にも、飲ませるがよいぞ』

『まだ酔っていらっしゃる。そんな説教を長々としているものだから、彼方から何か参りました。はやく飲がっておしまいなさい』

『何が来たか』

良雪は、紙屋の指さす方を振り顧って、しばらく黙然と眼をこらしていたが、やがて、あっと云って紙屋の袂をひいた。

千種川を越えて来た十数名の人影と、その人々の手に疲れたように持たれている提灯の光であった。