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しんぺんちゅうしんぐら

新編忠臣蔵

吉川 英治

「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页

青空文庫

先刻、濠端の途中から、後を尾けて来た男である。

その男が、何のために自分を尾けているかも、内蔵助は知らないでもなかった。

八年前に、松山城の城受取りの大命をうけて出向いたときには、自分もこういう小策を行ったものである。何よりはやく、相手がたの藩地へ入り込むものは、隠密者だ。

『地上のもの、宇宙のもの、すべては転り巡っている。為た身が、今は、される身となったか』

家族は、みな不安の裡に起きているとみえ、母屋の灯が明るかった。

内蔵助は、わが家の明りが怖ろしかった。

然し、同時に彼は、一家の主としての足を踏み直した。そして玄関へかかろうとすると、物蔭から、

『旦那様かッ』

と、跳びついてきた者がある。

八助という尾崎村の農家の老爺だった。内蔵助がまだ少年のころから屋敷に下男奉公をして、永年忠実につかえてきたが、もう荷担の水桶が体にこたえるようになっては、駄目だと云って、二三年まえに、尾崎村の息子の家へ帰ってしまった老僕である。

『おうッ、爺やか……』

懐しい。内蔵助は、親にわかれた後は、この朴訥な爺やが、いつも親のように思われる。

『……遊びに来たか、よう来たな』