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しんぺんちゅうしんぐら
新編忠臣蔵
吉川 英治
「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页
『…………』
『それはまだよい』
声は、努めて平調にしているが、呼吸はあらくなっていた。茶を一口ふくんで、
『――兵部の態度は、情に於ては、憎いが、道理はある。だが、四十年も添うてきた其方までが、この年齢にもなって、里方に帰るとは、何たる事じゃ。察するところ、それも、兵部の入智慧であろうが』
『…………』
『よいわさ! 夫婦も、縁類も、かような時には、頼みにならぬが世の常じゃった。行け! 行け! 上杉家とは、これ限り絶縁してくれる。兵部に、そう伝えい。それで家来の分が立つかと』
『殿様』
富子は、膝と膝がつく程に摺り寄って、じっと、良人を正視した。上杉家から嫁して来た二十歳の頃から、この夫人は、上野介より厳しい性を持っていた。才気と羽振にまかせて、随分あぶない利得を窺ったり、気は弱いくせに、傲岸に人を見たり、世間を弄ぶ質の良人を、程よく締めて来た内助だった。従って、上野介も、この夫人に対しては、猫のように頭が上がらないのである。――この三月以前迄は、少くも、夫人と啀み合う事などはなかったと云ってよい。
『なんだ?』
上野介は、今も、大きな敵にでも対うような顔いろで、そう云った。