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しんぺんちゅうしんぐら

新編忠臣蔵

吉川 英治

「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页

青空文庫

『わしは草臥れたよ。ご苦労様な、これから山科までまいって、又、不在とでもいわれたら、腹が立たんわけにはゆかぬ』

『町駕籠をよびましょう』

『近頃は、われ等も貧乏して、駕籠銭も惜しまれるが……まあ乗るか』

麓まで乗って、そこから二人はあるいた。真っ暗な晩なのである。自分たちが駕籠を捨てると摺れちがいに、山科の上から、ひた走りに里へ降りて行った二挺の駕籠がある。その灯を振り向きながら、

『今のは、大石殿か、誰か、他の者ではなかったろうか』

『いや、在所の女房らしい。駕籠のうちで、嬰児の泣き声がして居りました』

何気なく、その儘歩いてしまったのである。新築したばかりの大石家は、そんな暗い夜にも、遠くから壁が見えた。

近づいてゆくと、門前に誰か悄然と立っている。網代笠を被った雲水の胸に、一人の少年が、顔を当てて泣いていた。

『主税どのではないか』

惣右衛門がことばをかけると、主税は、びっくりしたように、僧の胸から顔をはなして、あわてて袖で眼をこすった。

『はいっ』

はっきりした返事だった。常の声と変らなかった。

『これは――原様、不破様も』

『お父上は、おいでか』

『折悪しく、不在でございますが』