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しんぺんちゅうしんぐら

新編忠臣蔵

吉川 英治

「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页

青空文庫

今日ばかりではない。何日でも役目が済んで長屋へ戻ると、一学は何より先に母の位牌へ向って、

(今日も、上野介様には、おつつがなく、一日お過ごし遊ばされました)

と、告げてから袴の紐を解いた。

丈八は、曾てその老母の許に帰郷していた一学を訪ねて、三州横須賀村の茅葺屋根の下に一晩泊めてもらった事がある。その折も、この母子が、領主の上野介の恩を深く徳としているのを見て、強い感銘に打たれた。あの時、老母が手ずから打って馳走してくれた田舎蕎麦の味も、忘れられないものだった。

その後――その老母の死の報らせを郷里からうけて、それ以来の清水一学には、何か深く心の底に思い極めている様子があった。一面、専念に主人の上野介の身辺を守りながら、一面では絶えず「防ぎ難い或る事態」の到来を、ひそかに待っているもののように見えた。

『――妙に陰気になったな。貴様とおれと酒をのむと、いつも沁々しすぎて、こうなる癖がある』

『酒の味は、心に沁み入るところが値打だ、馬鹿騒ぎして飲む酒なら何も相手も選ばない。……まあ泊って行くさ。夜具はないが、一つ蒲団でごろ寝の夜語りもわるくはないぞ』

そう云われると木村丈八も座を起てなかった。