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しんぺんちゅうしんぐら
新編忠臣蔵
吉川 英治
「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页
大検使は相かわらず頷かなかったが、両検使が、
『苦しゅうあるまい』
と云ったので、内匠頭の望みはかなった。
と同時に、介錯人の磯田武太夫はそれを提げて、
『御用意』
と、内匠頭の後に立つ。
彼は、人々へ、目礼を送って、徐々と、作法していた。水裃の前を外して、三方をいただくと、すぐ、小刀を執って、
『御介錯、ご苦労に存ずる』
と、云った。
鞘を出る刃の音が、背なかで、そっと辷る。
からと、水桶に柄杓子が鳴った。
『御用意、よろしいか』
武太夫が、二度目の声をかけた時には、もう内匠頭の髻は自分の胸を噛むように俯ッ伏して、水裃の肩先が、蝉の羽のように打ちふるえていた。
一瞬の真っ暗な瞼に、無数の玉虫のような光が、赤く、青く、白く、紫に、緑に、おそろしい迅さで渦を描いた。その斑の一つ一つが、妻の栗姫の顔であり、赤穂の城であり、父の義直であり、まだ幼い内蔵助の丸い笑顔であり、故郷の本丸に実っている柿の実であり、そしてまだ乳母の懐に抱かれていた頃の自分のすがたであると見たせつなに、
びゅるんッ!
白い刃は、水玉をちらして、三十五年の生と、永劫の死との間を、通りぬけた。