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しんぺんちゅうしんぐら
新編忠臣蔵
吉川 英治
「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 337,181 字 · 676 页
天機
神崎与五郎は雨の中に立ちすくんだまま、凝とそれを見ていた。全身の血が凍ってしまったのである。ただ熱いものが瞼につきあげてくるだけであった。
(――お粂だ)
済まないと思う。
罪なことをしたと思う。
これが凡の身の上ならば、お粂の愛人である矢頭右衛門七をつれて来て、あの濡れている姿を、何処か暖かいところへ抱いて行かせ、何んな事でもして、可憐な初恋の実をむすばせてやりたいが。――
だが。
それは、自分へだけの言い訳である。お粂の素振りは、もうふつうの精神状態ではない。たとえ、今になって何んな欣びを与えてやったところで、彼女にはわかるまい。
(――済まない)
ただそう思って、胸の中で詫び入るほかはない。自分の蓑でも脱いで着せかけてやろうかと思ったが、それも人目に憚かられるので躊躇われた。
と――そこへ、三、四人の大工の弟子たちが、濡れ鼠になって駈けて来て、
『いたいた』
『お粂さんは、ここにいる』
『又ここへ来ていたのか』
『何うしてだろう? 何日も、何日も』
そんな事を喚きながら、彼女を取り巻いて、家へ連れ戻ろうとするのだった。
与五郎は、すたすたと泥濘をただ歩いていた。