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くろだじょすい

黒田如水

吉川 英治

「週刊朝日」朝日新聞社、1943(昭和18)年1月~8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 163,639 字 · 325 页

青空文庫

――そう考えはすわったのである。

いずれにせよ、彼の今なしつつある業と大志にくらべては、これしきの苦い思いは、歯の根にのこる程もない些事と意志してしまわれるのだった。やがてその意志と身を起して立ち上がると、

「どれ。……会ってくれるか」と、独りつぶやいて、秋のあかるい陽のいっぱいに射している広い濡縁を大股に歩み出していた。

どうして一年間も伊丹の獄中にいたか。戦場の中から救い出されたか。容体の程度はどんなか。そんな経緯を質させにやっている前田又四郎の返事を聴くことも、信長はふっと忘れていたらしかった。

彼方から来る又四郎のすがたを見て、思い出したように歩みを止めた。そして、又四郎から伝えることを、途中で聞き取って、幾たびもうなずいた。

「そんなに重態か。……して、どこへ通しておいたか」

「東側の幕のうちへご案内しておきました」

信長は自分からそこまであるいた。昨夜中はそこを将座として戦況を聞いたり使番に会ったりしていた所である。幔幕のまわりには篝の燃え殻が散らかっていた。

つと、そこの囲いのうちへ信長は入った。約十歩もへだてた大地に、多くの者が一様に平伏していたが、何ものより先に、彼の眼へ飛びこんで映ったものは、地上にある一枚の戸板と、そのうえに横臥されている平べッたい一個の人体だった。