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くろだじょすい
黒田如水
吉川 英治
「週刊朝日」朝日新聞社、1943(昭和18)年1月~8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 163,639 字 · 325 页
猜疑
一
――人間、日頃はいつでもと死を覚悟しているつもりでも、さてその場にのぞんでは、この生理的な恐怖の襲いには、どうにも剋てないものであると。
「おいっ、誰か。灯りを持って先に立たんか」
武士たちはかたまり合って佇んだ。
沼の底へ降りて来たような暗さと冷たさである。太い柱と柱しか見えない洞然たる地下室をながめ廻して、官兵衛は、
「さて、ここか、俺の死所は」
と、ようやく心の平かなるものを同時に見出したここちがした。
猜疑
一
苦境に立てば立つほど強くなる彼。逆境に遭えば遭うたび、その逆境を一段階となして、次の運命を人の意表にきり拓いて、飽くまで積極的に進んでゆく彼も――その信長も、こんどの難局にはここ数十日、深刻な悩みを嘗めたことは確かである。
この苦杯を主人につきつけた荒木村重の謀反にたいして、彼が心の底から憤怒を抱いていることはいうまでもないが、それをすら抑えて、じっと、
(我慢も戦略。もし兵法とすれば我慢のできぬこともない)
と、自己の性格をころして、幾たびか慰撫の使者を伊丹へ向け、村重を懐柔して、この事件を一先ず内部的なものに局限して済ませたいと、極力努めて来たここ二ヵ月間のあとを眺めて、いかに伊丹の離反とその影響が、彼にとって大きな痛手であったかが思いやられる。