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くろだじょすい
黒田如水
吉川 英治
「週刊朝日」朝日新聞社、1943(昭和18)年1月~8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 163,639 字 · 325 页
四
……あの馬鹿者が、どんなに慌てて」
彼は苦笑を禁じ得なかった。自分の死はとうに観念していたものであるだけに、あらためて死生の境にもがき出して来る生理的なものすら起らなかった。ただ火の塵が膝を焦がすと熱いので折々払っていた。そして手で払ういとまもなくこの獄中の四壁天井すべてが焔となるのをただ待っていた。
彼としては、この城には、なお守将の荒木村重がいるものとのみ思っていたし、たとえ織田勢が攻め入っても自分を救けに来るわけもないと考えていたのである。ただこの際の彼にも、微かながら一縷の望みを生に懸ける心理がどこかにあったとすれば、それはつい百日ほど前にここの高窓の藤蔓を外から揺りうごかしてしきりに自分を呼んだことのあるあの女性の声である。
「……あのとき以来ふっと聞かなくなった声だったが?」
官兵衛はいままたそれを思い出しているふうだった。そして窓の上を仰ぐと、その藤の葉もはや落ちかけて、真っ赤な秋風に焼かれようとしていた。
四
――この夜。
ふいに二、三ヵ所から火を発し、同時に、城中の味方と味方とのあいだに、凄じい激闘が捲起されたとき、それと同時に、荒木村重の家族や女たちばかりの住んでいる一曲輪のものは、たれも彼もみな裸足で、着のみ着のまま、大勢が一とかたまりになって城門の方へ雪崩れて行った。