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くろだじょすい

黒田如水

吉川 英治

「週刊朝日」朝日新聞社、1943(昭和18)年1月~8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 163,639 字 · 325 页

青空文庫

「いや、宿舎へ向うのではない。このまますぐご本城へ上るのだ。……荷駄の者だけは、わかれて宿舎へ行っておれ」

辻の一角で、馬上から部下へ、こう怒鳴っているのが藤吉郎秀吉だった。浅井家滅亡ののちは、小谷の城主に置かれ、地位声望いよいよ重きを加えていた彼であったが、年はまだ三十九歳、体は至極小ぢんまりで、きらきらする眼とてもそう威厳のあるものではなく、顔はこの炎天に赭黒く焦けて、それと知る者でなければまず兵百人持ぐらいな一将校としか思われない風采であった。

「なに、戻るのか」

「戻れ戻れ。荷駄はそのまま」

当然、ここへ着いたら、何より先に、宿所へ行って、汗もふき、体も休め、今夜ぐらいは、ゆっくりするものとばかり合点していたらしい部下たちは、秀吉のことばを、また更に、下の将が伝えて、曲りかけた道を急に戻れと命ぜられたので、一瞬、そこの辻は、馬の汗と、人の汗のにおいで、ただならぬ混雑をしていた。

すると、秀吉のわきにいた、騎馬の小姓が、ふいに槍をうごかして、ぴたと往来の一方へつけ、

「こらっ、何しに寄るっ」

と、甲高くさけんだ。

すこし先の商家の軒下から頃をはかって秀吉の駒のわきへ駆け寄って来た男があったからである。