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ゆきのじょうへんげ

雪之丞変化

三上 於菟吉

「朝日新聞」1934(昭和9)年11月~1935(昭和10)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 344,083 字 · 673 页

青空文庫

と、菊之丞は、きびしく言ったが、ふと太い息をして、

「とは申すものの、あの浪路どのに、何の罪もないのは、わしとても、よう知っている。あわれは、あわれじゃ――が、これが、宿業――因果――と、申すもの。せめて、敵討ちを遂げる日までは、かの人の父親を、仇と思うそなただということを知らせずにすませるのが情でもあろうが――」

そう言った菊之丞、自分も、限りない淋しさ、はかなさに打たれたものか、

「いや、はなしが、沈んで来た。そなたも眠うないならば、その棚に、御贔屓よりいただいた、保命酒がありました。あれなぞ、汲みかわして、しばし語り合おうぞえ。幸い、芝居も休みであれば――」

雪之丞、涙をおさえて、茶棚からとり下ろす、酒罎、杯――

――いよいよ大事の迫った今日お師匠さまと、こうしてお杯をいただくも、これが限りになろうとも知れぬ。

甘い、とろりとした杯をしずかに傾けながら、言葉少なく語り明していると、ふと、階下で、又しても、荒々しく、戸を叩く音。

八

深更、暁明、二度目の、音ないの響きに、今度は、宿屋の、不寝番も、うたたねから目を醒されたのであろう――

臆病窓があく音がして、何か小さい、囁きがしたが、やがて階段を上って来る足音――