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ゆきのじょうへんげ

雪之丞変化

三上 於菟吉

「朝日新聞」1934(昭和9)年11月~1935(昭和10)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 344,083 字 · 673 页

青空文庫

一二

彼女は、別に、とっかわ逃げ出そうともしないのだ。

黒門町のお初というものが、下り役者にうしろを見せるのは、一生の恥辱とも思っているのであろう――

雪之丞はジリジリと進んで行った。もう彼は、今眼前へ毒口を吐いている人間を、女子供と嗤っていることが出来ないのだ。

――この場を、生けて逃がしたら、この女、三斎屋敷へ、このまま、駆け込むに相違ない――許せぬ。

ぐうっと、迫ってゆくと、闇の中で、お初の目が、凄じく光って、

「こんちくしょう! 殺してやるから! そんなに寄って来ると――」

お初、もとより雪之丞の、真の手腕を知っているわけがない――嚇して、追っぱらおうとしたが、例の、帯の間の匕首を、キラリと抜くと、

「こいつめ!」

と、ビュウと、突ッかかって来る。

雪之丞は、さすがに、自分は懐剣をひらめかせる気にはなれない。

十分に、突ッかけて来させて置いて、たぐり込んで、一絞めに絞めてやろうと、身をかわす――お初は、その隙をくぐって、二の太刀を斬りこもうとはせず、

「馬鹿め! あばよ!」

と、闇にまぎれて、パアッと、駆け出してゆくのだ。

軽業のお初――名うての女賊だけあって、その飛鳥の身のこなしは、なかなか、ありふれた剣者なぞの及ぶところではない。