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ゆきのじょうへんげ

雪之丞変化

三上 於菟吉

「朝日新聞」1934(昭和9)年11月~1935(昭和10)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 344,083 字 · 673 页

青空文庫

一一

彼は、父衣笠貞之進の上役、佐伯五平を暗打ちにかけようとして、流石、年のゆかぬ彼、まんまと斬りそこね、その場から家も、母親も、弟も捨てて、何処ともなく逐電してしまったのだった。

闇太郎の貞太郎は、それまでは極めて物堅く育てられ、世間のことはなにも知らなかった。素無垢な、武術文学に、貧しいながら身を入れてきた少年だった。しかし、今や、彼は突如として、これまでの一切に背中をむけ、まるで反対な方角へ駈込もうとするのである。

彼は、出来るだけ権力から、武門から、今まで彼が、もっとも尊敬せねばならぬとしていたものから、離れようとした。憎もうとした。

そこで当然、落込んでいったのは、市井無頼の徒のむらがっている、自由で放縦な場処だった。そんな仲間にはいるのに、なんの手間暇がいるであろう。四谷舟町の彼の家に、二年前まで折助をしていて、打つ、飲む、買うの三道楽に身がおさまらず、さんざん一家を手こずらせたあとで、主家に毒口を叩いて出ていった、弁公という若者が、つい、内藤新宿のある小賭博うちのもとに厄介になって、ごろごろしているのを、彼は知っていた。その弁公が、不思議にも若旦那の彼に好意をもっていて、その後偶然道であうたびに、さも懐しげに話しかけることも度々あった。