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ゆきのじょうへんげ

雪之丞変化

三上 於菟吉

「朝日新聞」1934(昭和9)年11月~1935(昭和10)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 344,083 字 · 673 页

青空文庫

二

暁方から今日の観劇をたのしみに、重詰を持たせて家を出るのは山の手の芝居ずきだ。かごで、舟で、徒歩で、江戸中から群て来た老若、男女で、だんまりの場が開くころには、広大な中村座の土間桟敷、もはや一ぱいにみたされているのであった。

二

初日早々、父親の仇敵どもの、最上位に坐して、あらゆる便宜をはからってやった上、最後に、松浦屋闕所、追放の裁断を下した長崎奉行、土部駿河守の後身、三斎隠居一門の、華々しい見物があるということを知った雪之丞、いかに心を静めようとしても、さすがに、その朝の楽屋入りは、気軽くは出来ないのだった。

宿を出る前、師匠が、顔をじっと見て、

「少し、顔いろが悪いようだが――」

と、いったとき、日ごろの教訓を忘れたかと思われる恥かしさに、

「いえ、さすがに、江戸の舞台が、怖いような、気がいたしまして――」

と、微笑んで見せようとしたが、その口元は、われながら硬ばるのだった。

「重ねて言うにも及ぶまいが、今日は、ことさら、胸を静めて舞台を踏まねばなりませぬぞ」

師匠は、それだけ言って、例の端然としたすがたで、膝の上にひろげた書き抜きに、目を落してしまった。